自己紹介

【第四話】もしもこの先働かなくても良いとしたら

話は戻り国家資格を取り6年後、トレードのコンテンツ資料作成、オンライン講師を兼務し、当然トレードをリアルタイムで行っていく中で当時私が取引を開始した当初は国内FXでも証拠金に対して400倍のトレードが出来ました。ですが国内のFX証券会社は2010年8月までに当時ポジションを持ち段階を踏みながらも50倍までレバレッジが下げられるというのを目の当たりにしました。

トレード環境も刻々と変わる中、FX取引の概念は取引する場所ですら多様化していきました。

その時の副業であるコンテンツ運営のコミュニティでも「国内のレバレッジ規制はトレーダーを守る策だ」「高レバレッジは持たざる者の味方だ。海外FXは幾らでもレバレッジがかけられる」色々な声が聞かれ、建前の規制と、現場の本音の違いも肌で感じられました。

基本的にはそんなコミュニティに参加するにもガラケー主流の時期だったので、絶対的に使いやすいスマホ主流になった今のオンラインでの情報共有の必要性を学んだ時期でもありました(iPhoneでメタトレーダーMT4のアプリが出たときは本当に衝撃でした)。

恐らく、現在の様に情報の検索のしやすさ、正しいチャートの読み方、チャートの身近さは当時から見るとそれこそ何倍もトレード技術を加速させていると思います。

心の病は必要だから起こる 崩心編2⃣

 

トレード開始七年目にはトレードコンテンツの作成の副業の収入が、かなり大きくなり、当初から行っていた物販の副業に関しては対時間効率から考え手を引いていました。

年齢的なものもあったとは思いますがいきなりお金が入るようになると生活をいきなり変えたり浪費が見境なくなると聞いたことがありますが、私の場合は少し趣味にお金を掛けられる、事や仕事上次に必要な物への投資や経費を惜しまない以外、サラリーだけでも十分に生活できる生活レベルを全く変えませんでした。

それよりも寧ろこれもそうなった人は共感すると思いますが例えばサラリーの10倍、200万月に収入が入る様になるとその人たちは共通の不安感に駆られます。

それはその収入レベルが下がる不安感で絶対に下げたくないという感情ですが。

今振り返ると、私の場合はコンテンツの運営者から報酬という形で受け取っていたので、自分で運営しない限りは、いつか全てゼロになるだろうと考えていた事でサラリーマンを辞めようとも考えず、羽目を外すことができなかったのだと思います。

 

トレードコンテンツ突然の契約解除

トレード開始から10年、約丸3年トレードコンテンツの作成に関しては私の日々のチャート考察をアウトプットするのみとなった仕事内容にも関わらず、運営会社との契約は全体収入に対するインセンティブなので十分すぎる報酬を貰っていましたし、本当に私には無い情報発信のノウハウを貰いました。

ここまでくると皆さんもうご想像がつくとは思いますが、運営側は運用者に対して集客し一通りのコンテンツも作成し終わりそれを発信し続けるのみとなっていましたので、

契約解除を通達してきました。ある意味前述でもあったように自分で運営しない限りは、いつか全てゼロになるだろうと考えていた事、寧ろ3年以上もこの契約を続けてくれていた事やきっかけを貰った事は自分の中で良い方に意外でした。

今でもその運営会社の方にはどの様に発信し続けるかアドバイスも貰う関係ですし、契約解除からこのように個人でアウトプットを続ける活動を続ける事を考えての契約解除なのかは定かでは有りませんが。最終的に行動を起こす人間はどの様な道を辿れど起こすべくして起こすとそれからしばらくして分かりました。

世の中に無数にある会社ではどんな仕事でも会社でやっている事を個人でやってしまえば規模は小さいが会社の給料を一瞬で上回る事は沢山あると思います。

私が当時色々なサイトを開設する時に身近にいたそのジャンルに特化した知人は不動産のサイト作成をしていました。そのノウハウを只の知人として聞きかじっただけでも充分立派なサイトが出来る。

彼は今でもリモートワークをして会社でそのジャンルとしては物凄く安い給料で働いています。全く同じように自分で不動産のサイトを作成して、全ての仲介料(掲載料成約時の報酬)を一人で得ればどれだけ莫大な収益になるでしょう?

そんなことは彼自身分かっていることですし、どんなビジネスにも興味のある私は彼に起業の気はないのか?話題に当然なったこともあります。

話題の答えは「でも成約時の報酬の取り決めの営業が出来ないし、でも会社の信用があるから成約が多い訳だし」といつもチャレンジできない理由を言っていました

私に言わせればサイトの作成等は完全に副業の範囲で出来ますし、フリーで不動産の営業をしている人は沢山いて、そのシステムを使ってサイトから成約につなげたらそれで良いと思いますが それからかなり経ちますが現在のコロナを理由にリモートワークをして定時の18時どころか、夜中までサイトの作成レイアウト作業をしています。

人は大抵の場合、次の世代まで残せる仕事の創出の様な次に踏み出す一時の勇気と努力は中々出来なくて、何も残らない場合でも定年までの何十年、長期間の我慢は出来る。

それが自分には時に許せなくサラリーマン生活でそのマインドで無駄に時間を過ごし残業代だけを貰って得した気分になっているのを垣間見る時が一番苦行の時でした。理由としてはそんな人と一緒に働けば良い影響は受けないからでした。

 

全く収入源を失うかもという不安感 人生の落差

サラリーマンの方も10年も務めると前述の様な志高い系のいわゆる慢心から、とにかく同じ国家資格の仕事で別の所で働いてみたい気持ちが大きくなりました。自分が役職が上がり、ご意見番になれば成るほど、自分の時間を売っている以上必ず避けれない理不尽な事が起きる度に転職の気持ちは強くなります。

散々嫌な思いをさせられた先輩の上にさらに上司がいたのですが、その方は何度も辞めようとする自分を止めてくれましたが、

何でも勢いに乗って居るときは誰の言葉にも耳を貸さないもので、トレードも同じ、何か客観的な条件を決めエントリーの時まで本当にそれでいいのか?今しかない条件にあてはまっているか?最後に自分自身に問いただせる人間ではとても無かったのだと思います。

その当時の職場は辞意を半年前に出さなければいけないという中で、次の職場を自分の中でこの上なく厳選して半年待ってもらう約束で転職、10年務めた職場を辞めました。

後に聞き意外だった事は自分が辞めたことがきっかけで何人か辞める決意ができて辞めた人間がいたことです。

色々と端折って話しますが、コンテンツの副業契約解除から転職まで半年の間、運営の方からノウハウを聞きながら個人でアウトプットを続けて個人で運営を続けましたが、収益は最初の月こそ数千円はおろか数百円にもなりませんでした。

そんな中ついに転職の初日がやってきました。転職初日からそこの部署長や銀行員上がりの事務長が何度も重ねた面接の時の態度とは明らかに違っていました。ある意味そこの職員となり部下となったのだから当然と思いましたが、昼休憩になると何がいけなかったのか分かりました。

結果としては前職場に対してここに転職が決まっていることを口外するなと言ったのに口外していただろうという話でした。

初日にしてまたここもか><というのが正直な気持ちで、口外していないし、していて弊害が有るならその時点で不採用の連絡をしてくれれば良いし、自分が口外したのかどうかも確認していないのに、いきなり有罪を出すところはもう問題しか感じませんでした。

それから2か月、副業でアウトプットを続けましたがどうしても新しい職場での良くない影響が出るようになりました。

部署長からはお前を引き抜いた訳じゃないんだからなと事あるごとにいわれ、部署長は絶対で長がそのようであればその下にずっと務めている職員の態度も散々なもので、私の教育ノートなるものが存在して、全員に私の教育状況を共有するものとなっていて、見たくもないのに辛辣な内容が書かれたノートを見せられる状況でした。

それも自分の10年の経験であるプライドが邪魔してか、朝起きるのが地獄の様になっていました。こんな地獄の朝は定年まではおろか、なるべく早く辞めよう、そう自分の中では決っていました。

そんな時かなり家庭でも参った様子の私を見て妻が食事に誘ってくれました。

ただ外食をするだけ、、、 パニック症状

もう収入源はなくなるかもしれない、 蓄えは人より有るのに何とも言えない不安感がずっとありました。全く回復した今はどこで食事したのかすら思い出せません。

妻に誘われ外食をしに行き、店員が食事を持ってきて食べ始めると、色々な負の感情が襲ってきました、家庭が有る、今までは高みしか目指していなかった、副業の保険でしかなかったサラリーマンでこれほどに追い込まれ、本来自分はこんなところで外食していていい人間じゃないのかもしれない、胸が苦しくとにかく自宅の何も刺激の入らない布団の中か何かにうずくまって居たい、お腹もすかない、外がこんなに苦しいのならこの先生きているなんて無理だ、

これが後にパニック障害(症状で済む)だったことは後で知ります。

このパニック症状は後に説明しますがそれほど長く無かったのですがトレードが正常に出来無かった、アウトプットができなっかたのはこの間だけでした。

今思えば収入的な問題は実際は無いのに組織に10年自分の時間を切り売りしていた副作用のようなもので何か時間的にとらわれていないと駄目な人間は自分の方でした。

あれだけ時間を切り売りするのが嫌だ、成果なしに無駄な残業を軽蔑していた自分こそ組織に精神的にも依存させてもらって、その土台があって、前のめりに夢に挑めていた事を、最後に正に心に刻み込まれました。

続く