コラム

迷信と思うなかれ お墓参りの気づき 前編

本当に人生に迷った時、貴方なら何をしますか?

私なら今は言えますが、大切な人のお墓参りに行きます。

コロナに本当の意味で疲れてしまった今だからこそのコラム題材だとおもいます。

お墓参りで人生が好転するのは迷信ではありません。

私の身に実際に起こった実話をお話します。
しかも好転した回数は明確に分かるだけで2回です。基本的に実話しか書きません。

1回目の奇跡の前の地獄のパニック症状

当時私は転職活動が初めてで、今考えると辛抱しどころだった所を評価され、役職にも就き恐らく勘違いしていたのでしょう。啖呵を切って退職してしまいました。

その勘違いの状態で次の会社に年収アップを約束され入ってみると、パワハラを超えた自分の至らなさを思い知らされる毎日の洗礼を受けました。

体の末端という末端が痺れ、当たり前のことすら出来ない状況を見て更に、追い込みをかけてくる先輩同僚。
「本当に私に辞めて欲しいんだ」とあれだけ沢山の人たちの意志を感じたのは最初で最後です。一人二人が敵意を向ける事は職場では良くあることですが、あれだけの救いのない状況ではもう答えが見えています。

以前にも書きましたが、もう辞めたいと悩んで居た時、当たり前の様に給料が入ってきて当たり前の生活が出来ていた事がもう出来なくなるのかもしれないと初めての恐怖に駆られ、外で食事している時に

”こんな所で食事してもいいのか?”

という恐怖からパニック症状を起こして食事はおろか、空気を吸うのすら困難になりました。こんなにも生きることが苦しいなら死んでしまいたいとも思いました。

冷静に考えれば、

貯金もある、持ち家もある、好きな仕事をして、楽しくなければ辞めたらいい

のはずが全く逃げ道を閉ざされていたのです。

ありもしない恐怖で自らを煽り、一方でありもしない恐怖から逃げることは生活の破綻とさえ考えて自らを更に追い込んでいました。
出勤時間の30分前に痺れた体を無理やり起こして仕事に向かい、つかの間の休日は針のむしろ状態についてしか考えられなくなっていて私の精神世界は事実上の八方塞がりでした。

お墓に入る前から悩みを相談していた~奇跡

そんな状態の私は大きな企業のサラリーマンを勤め上げ、体調を崩して引退した親戚にどうすれば良いか藁にも縋る思いで相談しました。

体調を崩して呂律が回らない親戚は、私が帰る段階になっても「ちょっと待て」と心配が収まらない様子でした。

私の方はというと、相談をして数日も経たないある日、家をでた後に目の前がちらつきだしてすぐもう職場には行けないと記憶が戻った時は玄関にうつ伏せになって、「無理だ、すまない無理だ、、、」と繰り返していたそうです。

その当日の内に休む連絡をし、私の国家資格が使用出来て且つ家から一番近い施設に連絡し、就職の面接をとりつけました。

面接は一週間後、関東で異常な大雪が降った日で忘れもしません。
自分で言うのもおかしな話ですが、面接までこぎ着ければ選考で落ちた事が無いため、面接に行く時点でそこに勤める覚悟でした。

転職が済んだ後、
親戚はALSという全身の筋肉が無効化して人工呼吸器をつけなければいけない難病に罹患して入院してしまい、自分で食事が出来ない為、栄養剤や点滴をしなければならない状態となりました。
しかし本人は何の処置もしないで欲しいとキッパリ断り「良かった、早く死ねて」と言いました。
そこにどんな真意があったかは分からないのですが、周りに迷惑をかけたくない、仕事を引退してすぐに死ねてよかった、、と自己愛ではない他愛に満ちた意図を感じ、皆彼を惜しみました。

生前愛情に満ちていた人は死後も愛情しか感じられない

ALSとなってしまった親戚は、自ら食事が出来ない状態になる訳で、通常なら生命維持を外的処置で行えば意識は正常な為数十年でも生きる事ができたのですが、点滴はおろか、けい管栄養も断った為わずか数か月で亡くなってしまいました。

亡くなってしまったというよりもそれが希望だったのです。

新たな職場に勤めながらも慣れない場所で悩みが出る度に、前職の退職間際の苦しむ私の事を本当に心配してくれた親戚の記憶が蘇り、すがる様に仏壇に手を合わせに行きました。

その都度細かい気付き(答え)もありました。 それは前職ではものの数か月で沢山の敵意を感じとても続けられないと感じたのに対し、転職先では困難は在りながら、しかも前職で心にダメージを受けながらも働けているという事実に対して、まるで亡き親族が「不満は在りながらも続けられているという事はどこかその場所に居場所があるのかもしれないよ?」と教えてくれて居るようでした。

そう、亡き人に手を合わせるとは 自分の記憶を明確にその当時に戻すことが出来る、しかもその過去から学びを得る貴重な方法だったのです。その過去の明確な記憶が、亡き人だったらこのように言うだろう、そう思わせるのだと気づきました。

この話は前編となっていて、その時の境遇やお墓参りが自分の過去の記憶の発掘という意味で貴重な体験を得れる話で長くなってしまい一旦終わりますが、 後編では記憶だけではないお墓参りで起こった不思議な人生好転の転機をご紹介します。

 

最後にトレードとチャート読解にもこの話は共通しており、人間のマインドと行動は曖昧でこの様な亡き方に想いをはせたりすることで記憶を明確に召喚し次の行動に繋げなければいけませんが、

チャートに関しては過去に何かが起きた時、相場参加者達がとった行動の一部始終が記録されており 次の行動(エントリー)に繋げるだけの明確な根拠を導き出す方法 それがチャート読解力だと考えます。

以下の動画はいままで起きた1998年ロシアショック、2002年ITショック、2008年リーマンショック、2015年チャイナショック、 その4つ全てを合わせたショックが近い将来に起こりその時、円はどうなるのかを解説しています。

 

後編へ続く